いつかはトムソーヤ

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「天気の子」を絶賛して、また同時に酷評する

さっき新海誠監督最新作の「天気の子」を遅まきながらみてきた。良いところがたくさんあったし、いろいろ考えることがあった。でも「君の名は。」にあったものが「天気の子」にはない。全然違う映画だった。

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結論は「脚本と一部演出以外大好き、最高!でも脚本はダメ」 です。

【※以降ネタバレします】

 

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制作陣の力量を再確認した

自分は天気の子を「いいところがたくさんあった映画」として当面は覚えておこうかなと思う。

秒速とか言の葉の庭から言われている作画の美しさという点はまあいちいち言うまでもないけど、なんかもう都会とか人工物書かせたらコミックス・ウェーブ・フィルム以上のスタジオないですわこれ。今回ほんとによかった。過去作でも思ったけどやっぱ東京にどれくらい馴染みあるかどうかで作品への共感性が全然違うよね!って確信した。

言の葉の庭に似たような聖地巡礼をしている感覚を何度も何度も味わえて、いやあそれだけでこの映画みてよかったなあって思った。

これはですね東京のあの周辺に馴染みがある人以外共感できない、東京人以外お断りというある意味ひどい描写なんだろうけど僕なんか東京の街映るたびにボディブローのように効いてきたので、これはすごかったなあ。

代々木の廃ビルですけど確かあの前にドトールだかエクセだかあって何度か行ったなあとか、小田急の踏切好きなんだよなあとか、あのスタバ通り過ぎでドーナツ屋さんとフランフラン通り過ぎてJR東の本社過ぎたところに階段あるんだけどめっちゃ使いにくい!とか

西武新宿のマックもそう。

2階だか3階で寝落ちした帆高のシーンで「それ新宿でカラオケとか送別会とかしたあとのオレの体勢と一緒だよ!!www」とか。これはかなりの人が「うっわっ」ってなったんじゃないかな。まあ現実あのマックにはあんな可愛い子働いてないけどな!!

今回はVFXの比率高まっててよりCGっぽさが出てたのはやや気になったけど。そんなに俯瞰してカメラ動かさなくてもいいから!って正直思った

それ以上に今回感じたのは「キャラクターデザイン」「演出」「劇伴(音楽)」の3点について、その力量が新海監督や周りのスタッフのみなさんの確かな力量としてあって、映画としてとても高いレベルにあるなあと感じた。

「君の名は」でシネフィルのみなさんが「座組の勝利」とか「プロデュース力ですよね」とかいっててすごく不快だったけど

座組、おおなんぼのもんじゃい」

ってことですよ。まともな座組いてもちゃんと映画作れない人が山程いるなかで今回も上記の点についてこの質なら、これはもう大評価するしかないでしょう。

 

 

ヒロインの妹とか弟、最強説。

まずキャラクターデザイン、君の名はに続いて田中将賀さんが担当されているわけですが、やーほんと田中さんはかわいいキャラクターを生み出すのが上手だなあと思う。今回でいうと特に陽菜の弟の凪ですよ。これはやられた。

ツイッターで誰かが聲の形の結弦っていってて話題になってたけど、もうまさにそう。こういうポジションにいる登場人物は魅力的に映るという方程式でもあるんだろうか。

主人公とヒロインとヒロインの兄弟ってところまで一緒だし、物語のテーマをすすめるにあたって主人公にとっての先生役ってところも。

中性的でかわいいキャラで、主人公にしてみれば最強の人なんだけどやっぱり根っこは弱い。

 

それから猫のアメ。物語が進んでいることを教えてくれる存在として機能するしね。

メインキャラについては後段で触れるとして、それ以外にも刑事二人。とくにリーゼントのほうは終盤、ほとんどコメディリリーフのように機能してて愛すべきキャラだったなあ。もちろん平泉成の老練っぽく見えてちょっと抜けてる刑事も魅力的だったんだけど。

加えて演出。君の名はでも、おおおすげえええっって思うところがたくさんあったけど、今回も小気味よい演出が目立ったなあ。冒頭、帆高がゴミ箱で拳銃を見つける前のシーンで「拳銃の密売が若者に広がる!注意!」みたいな内容の大型ビジョンうつるから、予告編でみた銃声と合わせて拳銃がいきなり出てくるのに違和感が軽減されてる。こういうところをちゃんとやるのがえらい。

あとはシーンとシーンとのつなぎ方も。これは編集のほうか。帆高が最初にネカフェに入って店員に嫌がられるシーン、ぶつぶつ切った編集でテンポよくて心地よかったなあ。

唐突に出てくるタワマンの一室とかもいい引っかかりになって、あとあとでちゃんと回収するからすっと受け入れられる。少し雑ではあるけど、序盤で拳銃を捨てて、その拳銃が終盤また出てくる。帆高はこの間拳銃を所持してないから、観てる方としては安心して観ていられる。

 

 

 キャラづくりの上手さ

それぞれのキャラクターも人間味がある血の通った演出がされてたなあ。

この映画、もはや最大の議論点が主人公の帆高の行くとこまで行ってしまっている狂った精神状態で「狂気の子」にさえも思えるところです(途中のパトカーの中の「鑑定必要ですかねえ。。。」という気持ち、激しく同情してしまう)。

それ以外のキャラはみんな好き。

ヒロインの陽菜はとにかくかわいいし、でもたぶんいろいろな意味で耐久性はない。

だからまあ帆高がほとんど人間やめかけてまで救いたくなるきもちもわからないではない(やっぱりわかりたくない)

君の名はで味をしめたヒロインの年齢サバ読み手法に今回もはめられたけど、だってそれまでもなんか母性が溢れ出てて頼りになるお姉さんだったから。

圭介は妻をなくして子供とも自由に会えるわけでもないし、帆高を追い出しちゃうけどそれを後悔しちゃう。すごい人間味ある。夏美は自由で大雑把な女の人だけど、就活うまく行かない。なかなか集中できない。てか帆高が心配だから。

あと帆高が警察署から逃げ出したあと夏美と帆高が逃げるのはちょっとケイパーものみたいというか、行ってしまえば君の名はで街を停電にした勅使河原と三葉に似ていて楽しかった。

 過去作の登場人物を出す手法も今回は君の名はより明らかに出してた。使い方も下品じゃなくてよかった。

この映画ですごい感じたけど、もしかして大衆向け新海作品ってキャラクタービジネスに結構適してるのかなって思った。君の名はの三葉もたぶんかなりキャラクター化したと思う。奥寺先輩とかもそう。

今回の陽菜とか結弦も似たような感覚がある。すっごいかわいいキャラとして新海のあれなみたいな感じである程度の普遍性を獲得するんじゃないかと感じた。

 

あとRADWIMPSが担当した音楽、劇中おおおおってアクセルかけるような感じのが序盤と中盤の入り口みたいなとこに2度あったけど、正直君の名は。前前前世ほどのブート感はなかったかなあ。ちょっと足りなかった。もうちょっと踏み込んでほしかったのが正直なところ。

でも、終盤のゆっくり目の音楽もよかったし、雨音も印象に残ったし、

あと映画って音がなくなるところが重要だとおもってるけど、帆高が昇天したところも音数が減って一気に締まった。それまでバイクの音とか銃声とか怒鳴り声とかうるさかったから。

1回しか観てないので気がついてない演出の工夫がたくさんあるでしょうが、これだけいいところがあるので、例によって映画観終わった今では映画のあのシーンがとかいろいろ考えております。

 

というように、いいところはたくさんって特に長編アニメーションのクオリティとしてゆるぎないものとしてさらに確立されたと思うんですが

 

やっぱり脚本だよなあ

 

 

 

新海監督の作家性が出た

今回の脚本、結局

自分とか自分に利害がある人が助かったり幸せになるなら、ほかの全員が死のうが街が消えようがどうなろうがもうどうでもいい

 

と言う新海監督がよく(劇中で)言ってることの表明だと思う。

使い方あってるかわからんけどセカイ系

君の名は。でも大々的に表明している。三葉が助かれば歴史が変わろうがてっしーが犯罪に手を染めようが発電所をぶっこわそうが歴史を変えようがどうでもいいらしい。

糸守町が救われたのは三葉が助かったことの副産物でしかない。

自分はこの点は主人公の瀧くんや三葉らに強く同意し劇場で手を握りしめて応援してしまったけど、わすれてはいけないのはこういうのはリアリティラインの設定次第で共感を得られる脚本のぶっ飛び方というか、それ方の許容範囲がすぐに変わるってこと。

そういう意味で今回は許容範囲を超えて全然乗れなかったなあ。

思い返せば新海監督は秒速でも言の葉の庭でも、主人公ら以外を極端に捨象する描写を得意としてきた監督なので、これはとても自然なこと。

今回も、圭介と夏美の家族ほうが、帆高や陽菜の家族よりよっぽど情報量多いからね。

リアリティラインを下げたから、それに伴って「ためにする脚本」の要素がどうしても増えてしまったと思う。

そもそもなんで帆高は拳銃を見つける必要があったのか

それって警察に家出人ではなくて犯罪の被疑者として追われる理由をつける「ため」、反発するときの物理的な武器を得る「ため」だよな。

なんで帆高は追われるという要素を持たないといけなかったのか?

大人の価値観や社会全体のルールに反発させる「ため」

 

この社会全体のルールって「天気」だと思う。暴風も大雨もがどうなろうと関係ない。帆高は大好きな陽菜のほうが大事でそれ以外はどうでもいいんだから。

 

だから、拳銃がどう帆高に渡ろうが、その方法はある程度雑に作ることが許容されているわけです。序盤で陽菜に怒られて拳銃捨てるけど、正直

「あ、あとでもう一回拳銃使うんで、とりあえずここに捨てておきました〜どうせクライマックスは屋上の神社ってことはみなさんわかると思うので、そのままにしておいてください〜」

って画面から聞こえそうなくらい雑な拳銃放棄シーン。

 

陽菜ちゃんは晴れを呼ぶほど体が透けるわけですが

「あ、陽菜ちゃんの体がすけるのの伏線はこのお魚さんでーす」

とか聞こえてきそう。

 

大事なのは、たぶん制作陣はこの雑さやためにする脚本も全部計算してやってるってこと。

 

それも含めて400スクリーン以上で開いてる大衆向け長編アニメーションでやっちゃうのが許されるんだから、度胸があるというか高い技術があるからこそというか、君の名は。の貯金というか…。

それから、クライマックスでリーゼント刑事たちが帆高に拳銃を向けるけど、なんかあのシーンは圭介が帆高側になびく決定的な理由がわからなくて消化不良だった。

たしかに圭介の「大の大人が子供相手に拳銃なんて」っていうのわかるけど、「拳銃持ったやつが相手なら子供だろうがおじさんだろうが女の人だろうが拳銃で応戦しちゃうよ!」という感想しか思いつかず、申し訳ないけどこのシーンにはなんの深みも解釈の多様性も感じられなかったなあ。

やはり、拳銃は物語の推進力を高めるための小道具の域を出ていないと思います。

あでもクライマックスで良かったのは、帆高が昇天してから「それから、雨は3年間止むことなく、今も降り続けている」でぶちってきれるとこ、ここはよかった!。

君の名はでも、糸守にやっぱり隕石おちちゃったあとずっと後日談が続いて、どうなる、再会できるのか?ってどうなるってどきどきしたけど、今回もそんな感じでよかった。

なんかここで映画終わらせなくなったのが新海監督がここまで一般にも受け入れられた理由だなって思ってすごく観ながら腑に落ちた。

 

とはいえですよ、最後のシーン、矛盾してません?だって

 

陽菜は人柱になって体が透ける

→それは辛いとわがままをいって帆高が陽菜を連れ戻したら東京水没

→3年後、陽菜にあいたくて家に行くと、やっぱ陽菜ちゃんは晴れを願っちゃう

→二人は再会してハッピーエンド

 

な わ け な い だ ろ

 

だってこの世界のリアリティラインでは、晴れを願った人柱は体が透けていくんやろ。

それが嫌で帆高は陽菜を連れ戻したんだろう。

ならもう二度と晴れを祈っちゃだめしょ!物語の中のルールを途中で変えるなよと。

逆に晴れ女の代償がなくなったっていうルール追加するなら祈りまくって早く東京の雨を止めろよと。こう思うわけです。

 

やあ、まったく理路整然としてないけどやっぱり主に脚本の面で私としてはマイナス100点の気分です。この脚本毎回やられるとしんどいなあという感じ。

 

 

君の名は。のあと、いろいろとしがらみとか大人の事情が増えた新海さんがここまでの技術的なハイクオリティで作家性に溢れた映画を作るのはすごいことだと思う。

たぶん君の名は。から入った人は新海作品にさらにどっぷりハマっていくひとと、やっぱり君の名はくらいが限度だというような私のような人に別れたと思う。天気の子にそこまで感情移入できなくとも、新海作品はやっぱり追いかけ続けねばなと決めた人もたくさんいるはず。

脚本にぜんぜんのっかれなかったけど、やっぱりいいところは両手で数えられないほどある映画だったから、これは天気のことを気にしがちな今の季節にぴったりな、実にさわやかな映画体験になると思います。

まだみていないという人はぜひ劇場に。たぶんロングランでしょう!

 

 

 

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