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線は、僕を描く:またやってくれた!監督の脚色で生まれた名作

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原作は未読。あの名作「ちはやふる」の小泉監督が出す4年ぶりの作品である。ちやはふるがあまりにいい映画だったので、今回かなり期待値をあげて見に行った。いくつかの引っかかりはありつつも、小泉監督の演出、原作からの脚色は名人芸の域だと思う。

この映画は、ちはやふる広瀬すず同様、主役の横浜流星さんの俳優としてのステップをあげた。小泉監督は、まだ一般の人があまり触れたことない題材を、その時々で登場する旬の俳優さんを主演に、静かに熱くなれる映画で伝えようとしてくれる。

題材の世間への発信と、主演俳優のスター映画としての価値を高レベルで両立しており、これは職業映画監督として本当に誠実な向き合い方だと思う。小泉監督なら今後もこのような期待を持って作品が見れるというのは、とても幸せなことだ。

 

※以下ネタバレがあります

原作からの脚色が見事

原作の構造は残しつつ、ディテールはけっこう改変されている。この改変がすばらしい。まず映画冒頭で霜介が感動する椿の花。原作で霜介が描く水墨画のカギになるのは菊だ。映画では椿を千瑛が描く水墨画と霜介の妹の名前にも重ねた。

湖山先生の揮毫パフォーマンスについても、原作では最終版のエピソードだが、映画では水墨画とはなにかを見る人に視覚的に訴えるため冒頭に持ってきて、霜介の弟子入りまでつなげる。原作よりさらにドラマチックになっている。

冒頭に湖山先生が霜介に声をかけた理由はずっとわからないままで、結局湖山先生の感覚や勘ということで、回収はされないのかと思っていたが、「君は真っ白だった」という言葉でこれを回収したのには本当に感動した。この映画全体のテーマともリンクする、自分の線をまだ持っていない、見つけていない主人公の姿を見た達人が、自分の技術や心構えを伝承に乗り出す。素晴らしかった。

主人公が抱える心の傷は、原作では交通事故であるとこと、現代の日本人にとってよりインパクトが強い自然災害に変えている。これも主人公がそこまで心を閉ざす理由になることとしてよりインパクトが強くなっている。映画化するにあたり、インパクトを強めたのはさすがとしかいいようがない。

終盤、霜介が千瑛とともに自宅があった場所に戻るシーン。ここはちょっと引っかかりがあった。自分の線を見つけられずにいる千瑛が、なぜ他人である霜介の過去を知ることで自分の線を見つけることができるのか。もう少しセリフや情景描写で補ってもいい気がしたが、霜介が自分の線を見つける姿は非常に感動的に描かれていた。

原作でも、千瑛とともに亡くなった両親と住んでいた自宅に帰っている。霜介から千瑛に同行を依頼している。この時の二人のやりとりは、意外にも文字で描写している原作のほうがドラマチックだった。映画では、二人の関係性がただの恋人や戦友といった言葉に落ちつかないような独特の関係性を映像で表現していて、演出が本当に的確だ。

鮮やかな映像化

ちはやふる、でもそうだったが、勝負のロジックをきちんと見せる、という点では序盤で千瑛が霜介に教える筆の使い方、大学での水墨画教室での説明は、ほとんどの観客が水墨画の知識を持ち合わせていないことを前提に、絶妙なバランスの説明となっている。

ちはやふる同様、終盤の水墨画の見せ方には感覚で興奮させられる。紙の裏から筆を取る霜介の姿を見せたり、紙を取るときや筆が紙の上を走る音の表現したり、視覚と聴覚で感動させる感覚こそ、小泉監督の真骨頂。実はこれと似たようなシーンも原作にあり、監督の手腕と原作の描写がぴったり一致していたように感じた。

役者陣がみんな素晴らしい

役者陣、全員褒めたらキリがないが、江口洋介さんや三浦友和さんを含めて、全員が躍動している。特に牧場や漁港を回る江口さん演じる西浜さんと霜介のやりとは、この映画を単なる青春映画から、自分の命をどう使っていくか、どう表現するかという普遍性的な問いまで射程を広げている。

横浜流星さんは正直注目している俳優さんではなかったが、すばらしかった。冒頭の表情や水墨画に向かう際の所作など、本当になにか芸術を極めていっている感覚がした。

清原果耶さんの素晴らしさはちょっと異次元レベルである。劇中最初のカットでの圧倒的な美しさとオーラ、ちょっとした仕草の自然さ、展覧会シーンでの美しさと、そこに隠れる悩み、終盤、思い悩んでいる際にでる年齢相応の等身大の雰囲気。上手すぎて引く…。

次はどんな映画を生み出してくれるか

小泉監督、もう次が見たい。素晴らしい原作(かつ、世間的には注目されていない題材)を、新進気鋭の俳優さんの魅力を引き出しつつ高いレベルで映像化する。しかもエンタメとしても面白い。

これが全部出来る日本の映画監督ってそう多くはないはずだ。