いつかはトムソーヤ

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中国山地ローカル線に引導を渡す旅(前編)

お盆のJR線乗りつぶし旅行記です。

最大のポイントは、中国地方のローカル線を乗りつぶすこと。これまで3回ほど乗りに行っていますが、4回目にしてようやく陰陽連絡線を完乗します。

なお、今回も茨城県の旅に続き青春18きっぷの旅です

台風は大丈夫か

台風が接近していましたが、なんとか初日に乗る予定の路線は平常運転に戻ったということで、出発します。5時44分発の快速高尾行きごろの電車で新宿駅を出ます。

初日は中央東線上諏訪まで出た後、飯田線豊橋まで。その後、関西線を下る行程です。

ポイントは上諏訪豊橋行きの超ロングラン普通電車に乗ること。飯田線経由で豊橋までいくにはいくら急いでもこの列車が始発なので、逆算して新宿発の時間を決めました。その結果、甲府までは各駅停車で向かい、甲府から上諏訪まではあずさ課金がベストと判断。

塩山付近の車窓。「砂の器」で女が紙吹雪をまいていたところ

ちなみに、高尾から乗る普通電車は韮崎まで先着。そこであずさ1号に乗り換えられるため、追加課金を抑えるのでれば韮崎まで乗るのがよいです。

ということで、甲府で朝食を調達し、あずさに乗車しました。E353系って本当にいい車両ですよね。もちろんコンセントも全席配置されているし、振り子を使っているのに乗り心地もいいです。

上諏訪着。まだ天気がやや悪いですが、観光客とおぼしき人が見えます。豊橋までまとまった停車時間はないので、ここで昼食を調達しておきます。

さまざまな表情が見られる飯田線

上諏訪を出てすぐは、まだ地元の人や一般の利用客の姿が目につき、乗り鉄の姿は目立ちません。

岡谷を出るころには、3両編成の電車はかなり人が減ってきましたが、特に飯田駅までは地元の利用者の出入りがあります。1時間に1本きっちりあるので、予定を組みやすいですよね。ローカル線の一つの使い方なのかもと。

そしてとにかく飯田線、駅間が異常に短いw。

途中、JRで最も勾配が急な坂を通ります。沢渡~赤木駅間で、周りが田んぼなのであまりピンときませんが、40パーミル、つまり1000メートルで40メートル上り下りする勾配です。

天竜川が作った河岸段丘に沿って走るためか、右側と左側の車窓で土地の高さが違うの興味深いところ。線路をまたぐ陸橋も、豊橋行きの車両進行方向右側から出てきた道路が、線路をまたいで左側に出たころには道路より高い位置に来ています。自然ってすごいですね。

天竜峡着。ここから駅間がやや広がり、本格的な山岳路線です。

天竜川は主に車窓右側。大きな岩が転がっているところもあれば、濃い緑色の水で水深が深そうなエリアもあります。途中にはダムもあり、天竜側が中部地方電源開発に利用されてきた歴史がよくわかります。

中部天竜駅。ここも政令市の一部であるという驚き

ちなみに全区間車掌が乗務しているのですが、初回の全員に対する検札に加えて、途中から乗車した人にも細かく検札していたのが印象的です。もちろん、検札したところで運行経費がまかなえているわけでなはいでしょうが、こういったJR東海の姿勢は大切です。

すぐに関西線方面へ

豊橋からは東海道線。そして名古屋からは関西線で松阪方面を目指します。

快速みえに乗車。桑名を過ぎれば座れますね。キハ65の元気のよいエンジンが響きます。18使用なので伊勢鉄道は避けて亀山経由です。

松阪で夕食をとり、近鉄との格差が著しい参宮線乗りつぶしました。松阪まで戻り、快活クラブ泊。

近鉄と競合しているもののほとんど機能していない参宮線

名松線の車窓が癒やし

2日は松阪駅からスタートです。始発で名松線乗りつぶします。

前日まで台風の影響で運休でしたが、この日から平常運転。1両ですが、途中までは部活に行く中高生で混雑しています。

途中の家城より先の景色が予想外に良くて驚きました。深い渓谷に沿って進みます。

豊かな自然が続く

名松線は2009年の台風18号により甚大な被害を受け、JR東海は一部でバス転換を打ち出しましたが、沿線自治体の支援により2016年3月に運行再開されました。あまり言いたくありませんが、中国地方のローカル線を抱える沿線自治体とは対応がまったく違っています。

名松線は場所柄、今後も大雨などの被害を受ける可能性があります。まさに乗れるときに乗っておけという線区ですね。

終点の伊勢奥津駅には目立ったものはなく、そのまま折り返して松阪駅に戻りました。

奴は名阪連絡で最弱・・・

松阪からは再び紀勢線を上り亀山まで、そこから柘植を経由します。

ここで凡ミス。この日は翌日の都合で姫路泊を予定していました。柘植到着時点で13時半。時間に余裕があるので、柘植からは草津線方向に進み、草津から再び柘植に戻ったあと加茂方面に進んでも時間は余裕がありました。そうすると東京に戻る際に草津線、関西線経由で名古屋にいかなくても、東海道線が使えたのに。しまった。

とはいえ、まあ仕方ないので加茂方面へ。柘植~加茂はキハ120単行が1時間に1本という有様で、1時間に12本のぞみが走る新幹線や豪華車両の近鉄特急と比べれば、名阪連絡路線で最弱。正直おもしろくなかったです。運転系統が加茂で分かれているため、加茂到着後そのまま柘植方面に折り返すと、木津~加茂に乗れないのです。やむなく加茂から大和路快速で奈良方面へ。

難読駅名が続く

奈良からは未乗だった桜井線に乗ります。

難読駅名がこれでもかと続いてすごいです。奈良の1駅前が「平城山」、奈良から先が「京終」「櫟本」「畝傍」と。途中の「帯解」とか「巻向」が簡単な駅名に思えます。

高田経由で王寺、久宝寺からはおおさか東線。放出からはまだ乗っていなかったJR東西線で尼崎まで行きます。首都圏でも横須賀線総武線の品川~錦糸町あたりがワープ感がありますが、東西線も京橋から尼崎なのでなかなかのワープ感です。

そこから先はなんのひねりもなく新快速で姫路着。翌日の苦行に備えるのでした。