いつかはトムソーヤ

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映画「運び屋」。ほぼ映画の神イーストウッドの自伝

90歳にして麻薬組織の「運び屋」になった男の晩年を描く映画「運び屋」(原題:the Mule)を見ました。

許されざる者」「ミリオンダラーベイビー」でオスカーを2度手にし、近作に「ハドソン川の奇跡」「15:17、パリ行き」があるクリント・イーストウッドがなんとあの、あの大傑作グラン・トリノ以来10年ぶりに監督と主演を兼ねた作品です。

 

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イーストウッドは映画の神様です。適当に映画を撮ってももう傑作しか作れない映画の神になってしまったのです。

イーストウッドが前回主演したグラントリノにぼくはとにかく感動して、それ以来この88歳の後期高齢者はただものじゃないと、完全に大ファンになってしまいました。この映画はやっぱりいまでも、シーン一つ一つ思い出すだけでぐっときます。

それ以来、自分が初めてイーストウッドをスクリーンで拝める初めての機会です。その機会をこうして得られたのがもう幸せすぎて、こうファーストカットからなんかイーストウッドが花を切ってたので「あ、もうこのご老人が花を切るシーンを2時間流しっぱなしにする映画でもいいです」っていう気持ち

なんかこうグラン・トリノみたいにあーあのシーンが、あの場面が、という感じで定期的に思い出すタイプの作品じゃなけど「なんかわからんがすげえ素晴らしかった」と思考停止してしまう映画でした。だから下記もうまく言えてないと思う。

ほぼイーストウッド自身の映画だった

予想以上にイーストウッドの自伝映画になってて少し面白くもありました。「自分の人生の後悔を映画で伝えたいけどそのままっていうのはさすがに野暮だなあと思ってたら、ちょうどいい話があるのでそちらに合わせてみました」って感じ。だから、娘とイーストウッド演じる90歳のアールが最初に会った時の「ジーザス」はちょっと笑っちゃいました。だって娘役のアリソン・イーストウッド、実の娘やし。

映画でのアールは、花の栽培で第一人者になって品評会にも出すくらいの人なんだけど、これってまさにアカデミー賞を何度もとって映画の神になったけど、妻と子供が何人いるかよく知らない雑な私生活を送ってきたイーストウッド自身の姿とほとんど同じでした。特にこのシーン。ブラッドリー・クーパーが演じる捜査官との会話シーンは半分ドキュメンタリーなんではないかと思ってしまいましたよ。

 

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 グラントリノ以来の映画

ほとんどのシーンが88歳の老人が車運転してるだけなのにいちいち感動してしまいますよ。グラントリノは家2軒で撮ってたけど今回はとうとう車一台で映画を作り始めたし、今回はイーストウッド一家とブラッドリークーパー以外ほとんど白人出てこないし「ああそこすげえあっさり行っちゃうのね」ってところが行き着くところまで行ったもうある意味で異質な映画なわけです。
  1. 日常生活がうまくいかなくなる。家族が離れる
  2. そこに環境の変化が加わる
  3. 環境の変化によっていい影響が出ていたはずなのに、2が原因で決定的に良くない出来事が起こる
  4. 結末を迎える
ってところは、まじでほぼグラントリノと一緒。
でもグラントリノみたいに、魂の伝承とか、自身の後悔や人生の業みたいなものではなくて、好き勝手に暮らしてきた爺さんが、若者に、自身の人生の感想をただ語る。その中でたまには家族に気を使えよ、っていうちょっとした教えを添えてくれるわけです。
これをクリント・イーストウッドが言うんです。
88歳で人生経験も技術も手に余るほどある映画の神がこんなことをわざわざ言うんですわ。
ありがたすぎる。 
 
銃なし、殴る蹴るなし、サスペンス要素なし
ほとんどだれかが車運転してるだけの120分間ですが
やーすごい。